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2020.03.13.
Category:
Spirit of Flamme
Spirit of Flamme—飯嶋真美の女性活躍とは【vol.1】産業革命~戦前
こんにちは。
フラームジャパンです。
先日飯嶋よりリリースいたしました、「Spirit of Flamme」の連載が始まります。
第1回目の本章はイギリスで産業革命が始まったころから第二次世界大戦直前までの歴史を振り返り、当時女性がどのように仕事に取り組んでいたのか?
女性たちにとって「仕事」とはどんな立ち位置のものだったのか?
これらについて明らかにしていきます。
目次
1.はじまりはイギリス産業革命
2.「家事育児=労働ではない」という考えと女性の地位
3.日本の女性たち
4.なぜ女性の社会活躍は進まなかったのか
5.女性活躍の歴史①産業革命~戦前までのまとめ
6.フラームジャパンではキャリア相談を実施しております!
「専業主婦」になった女性たち
女性の社会進出は18世紀中ごろの産業革命を皮切りに始まったと言われています。
それまでは手工業がメインであり、それぞれの家庭内や親方の下で簡易な生産活動を行い、それを個人間で売買する経済活動が一般的でした。
その後紡績機や綿布織機の誕生、蒸気機関の発達により、イギリスは産業革命を迎えます。
例えば、蒸気機関によって動く巨大な紡績機を前にし、家庭にある小さな器械で糸をつむぐこと、その販路を自分で開拓することに限界を感じ始めた人々は、糸をつむげるというスキルをもって、巨大な紡績機を作っている企業やそれに伴い新たに誕生した産業を担う企業で働き始めます。
それまで彼らは家内で、男女問わず糸をつむいだりパンをこねたりしていました。
しかし、このときにまず工場へと繰り出したのは男性だけだったのです。
それ以前から人々の意識に根差していたものではありますが、彼らの中で「女性は家事育児を担うべき存在」であるとされていました。
そのため、まずは男性が工場での高賃金の仕事に従事し、女性は自宅や近所で先細りするばかりの糸紡ぎや手織りをしながら家事育児をしていくことになったのです。
その後さらなる経済の発展により、男性だけの賃金でも、人々の生活には少しずつ余裕が生まれます。
それにより、男性は女性を再び家に戻し、子供の教育や家事の充実、使用人の監督をさせることが理想であり、社会でのステータスのひとつとするようになりました。
生活がさらに豊かになるにつれ、女性は家庭で他の仕事をすることもなく、家事育児に専念するようになるのです。
こうして“専業主婦”は誕生しました。
そう、男性だけの賃金で生活をすることが男性の経済力のステータスであったのです。
女性の人生から切り離された労働
女性はこうして専業主婦、ないし主婦となったわけですが、それでもなお労働に従事する女性は多く残りました。
社会全体が豊かになり、労働者でありながら使用人を持てるほどの給与を得る男性もいる一方、共働きでないと生活できない家庭や、夫もおらず、一人で自分や子を養わねばならない女性も少なからずいたのです。
加えて、経済の発展に伴いメイドや看護婦、ウエイトレス、タイピスト、事務員など女性の雇用口も増加し、仕事に就く女性は増えていきます。
経済変動や戦争の影響で、女性の社会進出が急激に進んだ時期もありました。
しかしなお「女性の本業は家事育児で、一般的な『労働』は本来女性が担うべきものではない」という概念が社会にはありました。
加えて、「労働ではない家事育児には対価は発生しない」という考えから、女性の地位はさらに低くなっていたのです。
欧米をなぞるような形で行われた女性の社会進出
日本の女性の社会進出が始まったのは19世後半の明治維新のころ。
欧米諸国に近しい形で女性活躍は進んでいきます。
富国強兵、殖産興業により紡績・製糸の官営工場が多く建てられました。
富岡製糸場などの官営工場には全国から士族の娘が集められ、そこで製糸の技術を学んだ彼女たちは、地元に戻り民営製糸場の運営と工女たちへの指導係を担いました。
(富岡製糸場内部・現在 画像提供:富岡市)
民営製糸場に集められた工女たちは、貧しい農家出身の女性がメインであり、当時の働く女性と言えば、工女か農民、家業手伝いといった具合でした。
その後欧米が歩んだように日本にも看護師や事務員、百貨店販売員や車掌などに従事する女性も増えていきます。
彼女たちは「職業婦人」と呼ばれ近代化の象徴的存在でした。
女性車掌
しかし、やはり日本人の通念にも「女性は家庭に入ることが幸せ」という考えがありました。
そのため、職業婦人として労働に従事していた彼女たちは、羨望のまなざしを受け、近代化の象徴とされると同時に、社会のいたるところから猛烈な批判を浴びることになります。
その一方で、男性が戦場に駆り出されるようになると、当然労働力は不足するため、女性はいっそう社会の中心に出ていくことになりました。
しかし、それでも女性たちにとって「本来の仕事」は家庭での仕事であり、男手のない中、彼女たちは国を支えるための労働と、家庭を滞りなく回すための労働を、同時に行っていました。
このように日本でも欧米と同様、女性が仕事に出ることはあっても、女性の人生の中心は「家庭」に限定されていました。
社会情勢が変動し、女性が労働に従事することがあっても、それは一時的なもので、家庭で家事育児に従事することこそが本来の女性の仕事であると考えられていたのです。
女性を社会から遠ざけた3つの理由
ではなぜ女性にとって社会での労働は、重要なものにならなかったのでしょうか。
それには大きく分けて3つの理由があると考えられます。
①子どもを出産するのは女性だから
出産は女性にしかできません。
戦前の日本は平均結婚年齢が約22歳前後、出産人数は4~5人。
子どもが5人もいると、当然その分育児や家事の負担は上がり、誰かしらかが家にいなくては到底回りませんでした。
かと言って当時の日本も諸外国も、福祉を充実させられるほど裕福ではなく、家族以外に頼れるものはなかったのです。
そのため、唯一出産ができる女性のメインとなる仕事は家事育児、すなわち家庭内での労働であると認識されていました。
女性は社会の労働に従事しても、それは家庭に入るまでの一時的なものにすぎません。
仮に結婚後仕事を続けることがあっても、それはあくまで家計を助けるためでした。
また「仕事は生きるためのみにするものである」という認識が強かった当時、主となって稼ぐ必要のない女性の賃金は低く設定されがちでした。
これは女性が一人で家庭を支えねばならない立場であっても変わらない事実でした。
そのため、現代の女性MRたちのように、「仕事も子育ても精いっぱいにやり切る!」という考えの人は、男性はおろか女性にさえまったくいませんでした。
「女性は男性が守るものであり、その男性を家庭で支えることが女性の幸せである」
という考えが、女性たちを社会から遠ざけたのです。
②女性には十分な教育がなされていなかったから
産業革命後の特徴として、教育が充実していったことが上げられます。
教育を受けた労働者は仕事の覚えもよく、生産性を大きく向上させることがわかってきたためです。
しかし、「人々」の中に多くの場合女性は含まれていませんでした。
①のような理由で、女性は仕事を続けず家庭に入ってしまうことが多かった当時。
10代後半から20代はじめで結婚してしまう女性が多く、彼女たちに高等な教育は不要であると考えられていました。
そのため初等教育を超えて教育を受ける女性はほとんどいなかったのです。
仮に女学校などの高等教育学校に進んでも、その多くは学問よりも「良妻賢母教育」に主軸を置いたものとなっており、その後社会に出てその学問を生かすことは想定されていませんでした。
結婚年齢が男性に比べて若く、長く働き続けることが困難である女性は、学術的教育に限らず、労働における女性への技術的教育も男性に比べて行われていないことが多くありました。
そのため、現代の女性MRのように学術的教養も備え、それを生かして社会で活躍することもそもそも難しい状況だったのです。
これらの事実が、女性の賃金をさらに著しく下げ、女性の活躍を妨げたことは言うまでもありません。
③男女問わず、女性の社会進出に否定的な人々が多くいたから
女性が労働をするようになったことを、まず恐れたのは男性たちでした。
男性にとって、女性を従え、養うことは一種の社会的ステータスだった時代。
女性が積極的に働きに出てしまうようであれば、
「あの家の旦那さんは家族を養う甲斐性もない」
と揶揄され、世間で悪評が立つことは目に見えていました。
加えて、彼らはそれまで家庭で娘として、妻として、母として自分たちに従い、守られてきた女性が社会に出ることで、自分たちが雇用を失ったり、社会的地位が押し下げられたりすることを恐れたのです。
しかしここには、現代に通じるまで表面化しなかった、ある大きな課題があります。
男性が女性の地位を下げることで従えようとしたこと以上に、女性自身が、自分が低い地位のままであることを自分で選択していたことです。
女性の多くが専業主婦化していた時代、先述の通り女性の行う家事育児は労働として認められておらず、賃金が発生しないことが当然でした。
その一方で、社会労働に従事している女性が男性と同等に賃金をもらってしまえば、不公平感も出てきてしまいます。
もしかしたら、自分で仕事をし生計を立てるような女性に対し、専業主婦の女性たちは、あこがれのような感情も持っていたのかもしれません。
女性の「活躍」に否定的だった時代
いかがでしたでしょうか?
この時代を生きる人々にとって、仕事は生きるため「だけ」にするものであり、そのものに喜びや価値を見出すようなものではありませんでした。
現代を生きる「あなた」と比べるといかがでしょうか?
女性活躍は、最近はじまったムーブメントでも、一時的な改革でもありません。
私たちの祖父母が生まれるもっと前、家臣制度から産業の構造が変わった時代から社会に潜む問題でした。
それは決して単純な問題ではなく、平均寿命の高齢化や平均出産数、社会情勢、経済的問題、当時の常識など多くの要素が絡み合い、そもそも、女性が「働きたい」とさえ思わない実情がそこにはありました。
人々にとって仕事はまさに「ライスワーク」……「食べるためだけにする『労働』」であり、養う男性がいるなら、彼女たちにとって当時の仕事=労働は不要なものだと考えられていたためです。
「女性は男性のもとで家庭を守ることが一番の幸せで、社会で働く必要はない」
という当時の考えから、家事育児をする労働だけが彼女たちの役割となっていました。
人々にとって、「生きるためだけにする」、つまらないものだった仕事=労働。
その「仕事」に対する考え方はどうのように塗り替えられていくのでしょうか。
また、それとともに女性たちの社会でのあり方はどのように変わっていくのでしょうか。
次回は戦中・戦後の日本について、女性に限らず人々の仕事観がどのように変遷してゆき、現代へと続いてゆくのかについて、迫りたいと思います。
次回もお楽しみに!
フラームジャパンでは女性の活躍推進の支援や、女性MRの人材紹介やプロジェクト紹介などを行なっています。
一億総活躍社会に向け、女性も一生働くことが「当たり前」となった現代。
すべての人の「人生の一部となった仕事」をより豊かなものにしてゆくため、
それぞれの「働くこと」への向き合い方から共に考えながら、女性のキャリア観を拓き、導いてきた実績があります。
ご自身の持つ経験や能力。
それらを存分に生かし、本当の意味で活躍できる場所を見つけ出すお手伝いが私たちにはできます。
実際に弊社からの紹介で多くのMRの女性が、自分の望むキャリアをつかみ取ることができました。(実際のご様子はこちら!)
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