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2023.12.25.
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Spirit of Flamme
The decision is yours. 本質的に女性キャリアが開く未来へ 飯嶋の妊娠発表
先日弊社の代表飯嶋真美が2024年1月1日をもって産休に入ることを発表いたしました。
本コラムでは、これまで語られることのなかった飯嶋のライフイベントに対する考え、妊娠したからこその気づき、今の想いについてフラーム社員によるインタビューをお届けいたします。
キャリアとライフイベントに対する想い
岩永:まず、おめでとうございます。
飯嶋:ありがとうございます。
岩永:飯嶋社長のキャリアに関するインタビューはかなりあるのですが、妊娠や子供を持つことに関しては初めてだと思います。これまでどのように考えてきましたか?
飯嶋:そうですね、これまでは周りは触れちゃいけないんじゃないかといった感じで、取材でもあまり聞かれたことはなかったですね(笑)。実際に妊娠してお腹が大きくなってくると、子どもをもつとは思わなかった、びっくりしたとよく言われます。でも私自身はそんな風には全く思っていなくて。これまで約20年のキャリアの中で、女性の働くということをずっと考えながら生きてきて、突き詰めて考えた結果、会社を創業するに至ったので、自分の中では妊娠したことも女性キャリアの中のひとつとしてとらえていて、妊娠とキャリアは別物というより、長い線上にあるものというイメージで考えていました。
岩永:20代で結婚、一度仕事を離れた後に復職した中ではどのように考えていましたか?
飯嶋:私は20代前半で結婚して一度仕事は辞めたのですが、夫の転職活動がうまくいかなくて働かなくなってしまったことをきっかけに、復職しました。その際に、女性が結婚してから職を探すことが難しいことや、例えば、結婚を機に仕事をやめて2年でもブランクがある女性は正社員にはなれず派遣社員として事務職に戻る、といった当時あたりまえの女性のキャリアをめぐる現状を痛感しました。それが当たり前とされている社会に疑問を持ち始めましたが、怒っていても私一人の力で状況は変わらないので、まずは自分を「主婦が働いている」ではなく、「一人の仕事人」として、「一人のビジネスパーソン」として、社会に対してどう見せていったらいいのか、そういうことを考えるようになったんです。
だからといってキャリアのために子どもをもつことを諦めるという気持ちもなくて、子どもを産むまでに自分のキャリアをどこまで充実させられるか、ということは考えていました。
岩永:30代では考えに変化はありましたか?
飯嶋:復職当初は契約社員として雇用され、ここで結果を出さないとこれからも受け入れられない、とがむしゃらに働きました。それが認められて正社員になり、ちょうど30歳のときにマネージャーになったんです。その頃に初めて仕事を面白いと感じ、もし産休育休を経ても戻ってきてほしいと言われる人にもなりたかったので、このまま居場所をつくろうと一生懸命でした。当時の私の同期や同年齢の友人もまだ独身の人もいたり、子どものいる人は少なかったこともあり、子どもを持つことに焦りは感じませんでした。
35歳くらいになると、高齢出産という言葉が頭をよぎるようにはなったのですが、何より仕事が面白い、自分の成長も挫折も失敗も感じることができて、自分の人生から仕事をなくしたくないという想いが強く、どちらかというと、子どものこと、家庭のことは仕事の忙しさでカバーして考えないようにしていたかもしれないなと思います。同時に、管理職である私が産休育休なんて取ったら仕事が回らないという上から目線の固定概念も持っていたように思います。
でも、周囲からも、「妊娠できないんですか?」とか「もう子どもはもたないんですね」とか言われるようになり、ああそう見えるのか、という実感もありました。楽しい仕事や、その環境が楽しくて、今これを失いたくない、でも35歳から高齢出産というのがちょうどニュースや女性誌などでも頻繁に取り上げられるようになってきた時でしたし、自分でも気になったりと、やはり葛藤はあって、卵子凍結など調べたりもしましたが、当時は卵子凍結ができるのはがん患者などに絞られていたので、実行には移していませんでした。
こうやって改めて振り返ってみると、私の20代30代は、本当に女性の仕事とライフイベントについてばかり、考えてるよね。
岩永:そんな中、37歳でフラームジャパンを創業されたんですね。
飯嶋:当時手掛けていた女性MRのダイバーシティプロジェクトや、女性キャリアについての講演など女性キャリアに関する企画がクライアントに好評で、このコンセプトが時代の潮流とも合致していると手ごたえがあり、起業するなら今しかない、と決意しました。
今から思うと、よくそんなことができたなと思います(笑)。やりたいことが明確で、一本光の筋が見えていたので、もう走るしかありませんでした(笑)。ビジネスの企画や人脈は、その年代、そのキャリアからしてみれば、信じられないありがたいものでしたが、会社を経営するということについては知識がなかったのでやりながら学んでいくしかなく、起業当初はとても苦労しました。思い返してみると本当に大変で、毎日毎日死に物狂いというのがぴったりの状況で、自分の妊娠や家庭のことは一切考えられていませんでした。
経営者として迎える妊娠・出産
岩永:女性が産休育休をとっても働き続けるのは当たり前になっていますが、起業した女性が妊娠・出産するというのはほぼ前例がないように思います。その中でどのように考えられていたのですか?
飯嶋:起業をしてからも、もう子供はあきらめた、という気持ちはなかったのですが、出産したら1年半ぐらいは肉体的に動けないとは思っていて、会社経営者兼事業責任者としてそれだけ不在にするのは難しいとも思っていました。
でもその固定概念が外れたのがやっぱりコロナ禍だったんですよね。いくつかの種類の仕事はリモートでもできるようになった今、1年半も仕事を離れる必要はない、それに創業7年目に入りますが、それだけの期間に、一緒にやってきてくれたスタッフたちが、もともと女性活躍に同じビジョンをもってきたので、同じベクトルに向かって成長し、日に日にコミュニケーションも取りやすくなり、私が不在にしても会社が立ち行かなくなることはないだろうと信じられるようになりました。
フラームではとても優秀なリモート勤務をしている本社スタッフもいて、一緒に仕事をする中で、業務の進捗の共有やチームビルディングの仕組みつくりができてきていました。リモートで仕事をするためには、単に情報や資料を共有するだけではなく、その背景にあることもキャッチアップした上で共有されたものを解釈してアウトプットする必要があります。今のメンバーでそれが実現できる体制ができたことで、自分の中にあった、私が不在にすることの怖さは薄れていったと思います。
会社を設立してから5年目くらいからは組織として確立できていることを実感したこともあり、これなら大丈夫、と自信がもてるようになりました。
同時に、年齢的にもそろそろ本当に子供を授かるリミットが近づいているというタイミングが重なり今に至りました。
岩永:ビジネスに影響を与えないようにどのような戦略をとりましたか?
飯嶋:今も悩みながらやっているところではありますが、産休の場合は突然の退職とは違い、半年以上も準備期間があるので、その間に業務を細かく把握し直しました。
タスクの優先度付けをして、自分がいない数ヶ月の間にも、絶対に進捗させなければならないことを取捨選択して、会社経営に本当に必要なアウトプットは何だろう、というとこから逆算を始めました。そして、メンバーにもこれだけは押さえてもらわないといけないというポイントでデータ作ったり、共有の仕組みを改善したりしました。
タスクを日々どうやって回していて、どのメンバーが一番キャッチアップできているか、他にはこのメンバーだったらサブでこういう貢献をしてくれそうだな、といったタレント性を見極めながら準備を進めているところです。
この過程で、メンバーのタレント性について、私が思っていたものと、本人が持っているもの違ったということに気づくことが結構ありました。この分野にそんなに興味を感じてくれていたのかと初めてわかったり、そんな意見を持っていたんだと気づいたり、個性を知る良い機会になっています。
メンバーの個性を改めて知れたことによって、メンバー間で連絡や共有がうまくいってないポイントも、この2人が会話するとそうなるんだ、といったようなその組み合わせだから生まれる発見もあって面白かったですよ。
また、メンバーへの指示出しも、やり取りを繰り返す時間がないことを意識して途中まででも自分が考えたことや、考えてはみたけどやっぱりダメだったアイデアも伝えるようにして、思考のステップアップのスピードを意図的に早めて、より円滑なコミュニケーションをとれるようになっています。
働く女性をめぐる現状についての気づき
岩永:働く妊婦さんや産休・育休をめぐる現状についても何か気づきはありましたか?
飯嶋:そうですね、私も妊娠中に切迫流産になり、体を動かせなくなってしまったときにリモートを活用しながら業務を続けたことで、産休・育休の取り方ももっと色んな形があってもいいと感じています。
もちろん個人の希望が尊重されるべきですが、育休から少しずつリモート等で復帰し始めるような、そういう仕組みを整備していくことも会社として必要だと思います。年単位で育休をとって、その間に、育休を取った人を出世路線から完全に外すような仕組みで決めつけることもないように思います。
育休を取ると出世コースからは外れます、などマイナスになる部分はすべて開示すべきだと思いますし、復帰時には時短をとるべき、みたいなことを決めつける必要もないのではないかと。
そのように柔軟に仕事に取り組める環境があれば、通常の産育休のあいだにも、他の業務はいいから、このプロジェクトだけはいてほしいと思う人が、集中してそこに取り組んでくれれば、会社としてもより計画的に物事を考えられるし、育休からの復帰がスムーズになればメリットは大きいはず。ただ形だけ作ってうまくいくものでもないので、法整備というよりは、それぞれの会社、管理職とチームメンバー間の信頼関係が大きく影響するのかなと思います。
会社のカルチャーも大事ですよね。私も切迫早産でベッドに寝ながらノーメイクでミーティングをしたりもしましたが(笑)、これができたのもフラームの会社のカルチャーがあったからだと思いますね。女性も多いですし、男性もその辺に慣れている。もしミーティング相手が全員男性でスーツでびしっと構えられていたら、やはり違ったかな、とは思います。
また、クライアント先、一緒にプロジェクトをやっている人たちとは、はじめは「え?!」という感じで素直に反応くださったのですが(笑)、私の妊娠がフラームにとってどういう意味をもたらすのかとか、我々の進めているプロジェクトに対してどういう意義があるのか、というところを深く考えてくださって、ダイバーシティや女性キャリアについてのさらに屈託のないディスカッションができ、お互いの理解をより深めるきっかけにもなったと思います。
飯嶋からの逆質問
飯嶋:岩永さんは、過去から妊娠中の今まで一緒に働いてきて、実際にマネジメントを受ける立場でなにか違いを感じたことはなかったですか?
岩永:もともとリモートで働いており、メールやオンラインミーテイングでコミュニケーションをとっていたので、仕事のやり方にはあまり変化は感じませんでしたが、予測外のことが起こりうる可能性も考えながら、どう転んでもよいように仕事を進めるようになりました。そこは私がというよりは社長が強く意識されていたところかと思います。指示を受け作業をする、というよりは一緒に臨機応変に最善の方法を考える、といった形でよりチームとしてアウトプットを出せるような形に変わったように感じます。
思考のステップアップのスピードを速めてくださったというのはとても感じました。私のせいでそれを遅らせてはならないと、アウトプットの質を高めるよう意識しました。社長も以前よりさらにオープンになってくださったので、私のほうからも積極的に状況を確認するようにしました。
飯嶋:上司が妊娠したと聞いてどう思った?不安になった?
岩永:会社トップの育休というのは想像したことがなかったので、社長の育休期間は会社はどうなるんだろう?とは思いました。ただ、妊娠の報告が切迫流産で突然入院された時期と重なったので、それよりも目の前の業務をどうしようということに動揺したのを覚えています。そこからチームメンバーみなが自立して仕事を進める意識が高まったように感じていますし、その入院期間を乗り越えたので、これからの育休については準備期間もあるし、なんとかなるだろう、という気持ちではいます。
母親に対する固定概念が女性キャリアを阻んでいる
岩永:産休中にやりたいことはありますか?
飯嶋:高齢出産でも上のほうなので(笑)、仕事も育児もwell-beingにこなすために、まずは体のケアをしたいですね。韓国の産後ケアのシステムや、スイスの予防医学の考え方、産後ドゥーラさんなど、取り入れられるものは全部取り入れたいと思っています。
日本は子供が第一で、出産は病気じゃないんだから、といった考え方ですけど、他の国はもっと産後の母親の体ケア、メンタルケアに注力してますよね。女性の健康ケアに対する意識が高いとも言えます。
今フラームでも女性の健康課題の解決ということで、フェムテックを導入し、ルナルナオフィスというシステムを取り扱っていますが、企業によっては、「女性だけ」というのは男性が嫉妬するから,と言って嫌厭するところもまだあるんですよ。
日本では、自分を後回しにして頑張って、苦労して、それが愛情深い理想の母親像のように語られることも多いです。母親が犠牲になることと子どもへの愛情とは本来別物のはずですが、そういう社会からの圧力、脅迫観念みたいなものがあるからこそ、女性のキャリアに対する前向きな思考を阻んでいるということを、自分が妊婦になって病院へ通ったり、産後のことを調べたりしてくうちに改めて実感しました。
子どものためを思うから母親が仕事を辞める、ってそれは違うと思うけれど、病院でも幼稚園のような施設でも、女性同士でもこの概念で成り立っているところが実際はあります。この連想は国の経済損失に直接的につながるものなので、今話題の○○無償化よりも、こういった概念をどうなくしていくかの議論のほうが本質的だと感じています。
私にとっての最良の道が社会の道しるべに
岩永:メッセージをお願いします。
飯嶋:最後までお読みくださって、ありがとうございます。
まだまだ女性社長の数自体も少なく、そのなかで、経営者の現役中に妊娠出産を迎えるというのは、さらに少数だと思います。
そのため、経営者のロールモデルもそんなにいないのに、妊娠出産まで含めると、私にとって参考にできる事例はほぼありません。
日本はまだ女性キャリアの考え方においては発展期ですが、一人の女性の妊娠出産は、その女性個人のキャリア発展というだけでなく、全体的な経済市場、労働市場へ与えるインパクトとして換算すべきです。
だからこそ、今の私たちの行動や考え方が後進の女性にとって、そして日本の経済にとってとても重要な道しるべになります。
私なりに考えてきた道の中で、私にとっての最良がいまの選択になりますが、自身の選択をもって、現代女性を体現し、それをまた社会に還元していけるように新たな挑戦にむけていきたいと思っています。
まずは、超高齢出産を楽しみながら、乗り越えていきたいと思います。
最後に
この機会は、フラームの有志メンバーにより、作ってもらいました。ありがとうございました。
今まで妊娠や子供を持つことなどをどう思っていたのか、知りたいと言ってもらえ、それで考えてみたら、みんなに対して、自身の家族観などの話もしたことがなく、メディアのインタビューなどで出ている話しか知らなかったのではないかな?と改めて気がつきました。
ダイバーシティ&インクルージョンは、ジェンダーや国籍がインクルージョンすることもそうですが、メンバー同士の考え方の違いをインクルージョンすること、もっと言うとどうインクルージョンさせて、それぞれの価値を高めていくかを、考えることが、とても大切だったのかもしれない、という基本的なことに立ち返りました。
私の貴重な転換期に、気づきを与えてくれ、そして信じてまっすぐに頑張ってくれている社員一同に、改めて感謝します。
2023年12月 飯嶋真美 岩永綾乃 & フラームジャパン