Interview.

My Story

私のキャリア

               

My Story

外資系製薬メーカー コマーシャルエクセレンス本部
シニアマネージャー (※撮影当時 2023年2月)

〆木由香さん

Yuka Shimeki

PROFILE

私は、「〆木さんだからできた」ではなく「〆木さんだってできたから私にもできる」と思ってもらえるような、ロールモデルになりたいと思っています。

今回のMy storyは特別編として、
女性MRがまだ少ない時代からキャリアを歩み始め、営業所長、社内で女性初の支店長も務められた〆木由香さんを2回に渡りご紹介します。
管理職へのステップアップの際には葛藤もあったと語る〆木さん。ライフイベントも含め様々なキャリアの転換点でどのように考え、行動をしてきたのか。彼女のストーリーは女性MRが長期的な視点で今後のキャリアを描くためのたくさんのヒントを与えてくれました。

INTERVIEW

インタビュー

キャリアはシースルーのエレベーター 新たな景色を見ながら女性MRはもっと成長できる【Part1】

これまでのキャリアを教えてください。

1997年3月に薬学部を卒業し、同年4月に外資系製薬メーカーに入社しMRとしてキャリアをスタートしました。神奈川県に配属され、病院やクリニックを担当していました。16年間のMRの経験の後、管理職となり2013年に神奈川県横浜市川崎市の営業所長、2014年に東京都城南地区の営業所長、2015年に首都圏支店(東京都・神奈川県)支店長を経験しました。
その後2017年に産休育休を取得し、復帰後は本社のコマーシャルエクセレンス本部にてMRのセリングスキルやDMのコーチングスキルのスキルアップトレーニングやスキルアップ戦略立案の業務を担当しています。

〆木さんがキャリアを歩み始めた頃の女性MRをめぐる状況はどのようなものだったのでしょうか?

当時、女性MRは多くの製薬メーカーで5年限定採用が一般的で、『女性MRよくて3年、長くて5年』とも言われており、長く続けられるイメージではありませんでした。そして、大手製薬企業で100名程度新卒MRを採用する中で女性MRは5名ほどで本当に少数でした。
幸い、私の場合は期限付きの採用ではありませんでしたが、人事担当者に「5年後はどうするのですか」と聞いても具体的な回答がなかったり、実際に5年以上続いている女性の先輩もいなかったり、社内の立ち位置は同じような感じでした。

〆木さんは社内の営業部門にて初期の女性管理職だったそうですが、管理職になられる際はどのようなお気持ちだったのでしょうか?

当時、すでに本社管理部門では女性管理職も多くいましたが、全社の営業部門としては2人目、事業本部の中で初めての女性営業所長を拝命しました。
管理職になる時は、正直なりたくないと思っていました。一つ目には結婚生活との両立に自信がなかったからです。営業所長は朝から晩まで働く超多忙なイメージだったので、両立は無理だと思っていました。二つ目には、社内でまだ2人目の女性営業所長ということで、周囲の受け入れ度は高くなく、先輩や同じくらいの職級の男性社員からのプレッシャーを受けることが想定されたからです。

そこからどのようにマインドを変えていったのですか?

マイナスのイメージばかりを抱いていても始まらないので、まずは、様々な男性の営業所長に管理職のやりがいについてヒアリングをしてみました。でもやっぱりピンと来なくて悶々としていたのですが、そんな時に、4名のチームリーダーとして後輩に営業活動をアドバイスしたり、スキルを教える経験をしました。私の指導によって後輩ができなかったことができるようになり、それをとってもうれしく感じました。「あ、営業所長のやりがいってこういうことか!これなら私にもできそう!」と自分でピープルマネジメントのやりがいを見いだせたことがマインドチェンジにつながりました。
仕事と家庭の両立については、夫や社外の女性の先輩に相談をしました。夫とは、お互いの仕事をお互いに支え合おうという共通の価値観があって、私のキャリアの一番厳しい上司は夫なんじゃないかなっていうぐらいの関係なんです(笑)。そんな夫から背中を押されたことも管理職を目指すきっかけになりました。
当時の私は、管理職になることより子どもを持つことを優先したかったのが本音でしたが、夫からは、「あなたのすぐ後輩女性で営業所長になれそうな人はいるの?他に候補が多くないなら、まずは子供より管理職を目指した方がいいんじゃない?子供は管理職になってからでも遅くないと思うよ。」と言われました。
以前に別の方からも、結婚と昇格のタイミングが重なって悩んだ時に「先にご縁があったほうを受け取りなさい」とアドバイスをいただいたこともあって。目の前に来たものを、丁寧にやっていく、一生懸命やっていくという考え方だと思うのですが、そういった形で子供よりも管理職になることが、会社のためにとっても、自分のキャリアにとっても今は重要なんだろうなというところに納得ができました。

最後に覚悟を決めるきっかけとなったのは、男性の後輩MRからの「〆木さんに所長になってほしい」という言葉です。できない理由や周囲からのプレッシャーなどに目が向きがちでしたが、そう言ってくれる後輩の期待に応えたい、と強く思い管理職となる決心をしました。

管理職となったときの周囲から見た〆木さんの印象はどのようなものだったと感じましたか?

想像の域を超えないので合っているかは分からないですが、男性先輩や職級の近い男性社員からは、また女性だからと出しゃばってきた、と思われていたと思います。人によっては協力的でないコミュニケーションをされることもありました。
一方で後輩の女性MRからは、「〆木さん大変そう…私はそんな風にはなりたくないな。」と思われているだろうな…という人もいる一方、キャリアアスピレーションの高い女性MRからは「仕事を教えてください」という感じで主体的に声をかけてきてくれました。私が管理職になったことで彼女たちの前向きな行動に繋がったと思うと、私が管理職になったことは意義があったのだなと感じました。

管理職になったからこそ感じられた仕事のやりがいはありますか?また仕事への向き合い方に変化はありましたか?

責任範囲が広がったことで、県の半分などMRの頃と比べると広範囲で数字を上げられるようになったのが楽しかったです。責任地区のあちらこちらで実績が上がり、部下MRと喜びを分かち合えたことに大変やりがいを感じました。
部下MRができなかったことを私の指導でできるようになった時にもやりがいを感じますね。このやりがいを感じたことは管理職になるきっかけにもなりましたが、実際に管理職として仕事を続けていても、メンバーが増える中でより感じることのできる仕事の醍醐味だと感じます。
チームとしての仕事への取組み方、成果の出し方も大きく変わったと思います。私がメンバーの立場だった頃も、よいチームワークが発揮される中その一員としてやりがいを感じることはありましたが、管理職になってみると、自分が中心となってチーム全体に影響を与えている感覚があるのが大きく異なる点だと思います。私の関わり方次第で、メンバーのやる気やマインドがこんなにも大きく変わるんだって。メンバーには役割や期待を明確に伝えることで、彼らも一生懸命やってくれるようになり、彼らの努力をしっかり見て具体的に褒めたり、彼らの意見を尊重しながらアドバイスをすることで成果としてリターンが何倍にもなってくるんですよね。そうやってコミュニケーションが活性化しチームの一体感をつくっていくことで、目標に向けて協力をしながら取り組むことができて、自然と成果もついてくる、そんな仕事ができると大きなやりがいに繋がっていきました。

女性MRのキャリア構築がまだ一般的ではなかった状況の中で、仕事と家庭の両立について葛藤をしながらも、自分を慕ってくれる後輩のため、後進の女性の道をつくるため管理職へとステップアップを決意し、新たな仕事のやりがいとも出会った〆木さん。彼女のような存在があったからこそ、現在の女性MRが活躍する土台がつくられてきたといっても過言ではないでしょう。
次回Part2では、管理職となってから迎えたライフイベントや、後進の女性MRへの想いについてお話をうかがいます。


 

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シニアマネージャー (※撮影当時 2023年2月)

〆木由香さん

Yuka Shimeki

私は、「〆木さんだからできた」ではなく「〆木さんだってできたから私にもできる」と思ってもらえるような、ロールモデルになりたいと思っています。

今回のMy storyは特別編として、
女性MRがまだ少ない時代からキャリアを歩み始め、営業所長、社内で女性初の支店長も務められた〆木由香さんを2回に渡りご紹介します。
管理職へのステップアップの際には葛藤もあったと語る〆木さん。ライフイベントも含め様々なキャリアの転換点でどのように考え、行動をしてきたのか。彼女のストーリーは女性MRが長期的な視点で今後のキャリアを描くためのたくさんのヒントを与えてくれました。

キャリアはシースルーのエレベーター 新たな景色を見ながら女性MRはもっと成長できる【Part1】

これまでのキャリアを教えてください。

1997年3月に薬学部を卒業し、同年4月に外資系製薬メーカーに入社しMRとしてキャリアをスタートしました。神奈川県に配属され、病院やクリニックを担当していました。16年間のMRの経験の後、管理職となり2013年に神奈川県横浜市川崎市の営業所長、2014年に東京都城南地区の営業所長、2015年に首都圏支店(東京都・神奈川県)支店長を経験しました。
その後2017年に産休育休を取得し、復帰後は本社のコマーシャルエクセレンス本部にてMRのセリングスキルやDMのコーチングスキルのスキルアップトレーニングやスキルアップ戦略立案の業務を担当しています。

〆木さんがキャリアを歩み始めた頃の女性MRをめぐる状況はどのようなものだったのでしょうか?

当時、女性MRは多くの製薬メーカーで5年限定採用が一般的で、『女性MRよくて3年、長くて5年』とも言われており、長く続けられるイメージではありませんでした。そして、大手製薬企業で100名程度新卒MRを採用する中で女性MRは5名ほどで本当に少数でした。
幸い、私の場合は期限付きの採用ではありませんでしたが、人事担当者に「5年後はどうするのですか」と聞いても具体的な回答がなかったり、実際に5年以上続いている女性の先輩もいなかったり、社内の立ち位置は同じような感じでした。

〆木さんは社内の営業部門にて初期の女性管理職だったそうですが、管理職になられる際はどのようなお気持ちだったのでしょうか?

当時、すでに本社管理部門では女性管理職も多くいましたが、全社の営業部門としては2人目、事業本部の中で初めての女性営業所長を拝命しました。
管理職になる時は、正直なりたくないと思っていました。一つ目には結婚生活との両立に自信がなかったからです。営業所長は朝から晩まで働く超多忙なイメージだったので、両立は無理だと思っていました。二つ目には、社内でまだ2人目の女性営業所長ということで、周囲の受け入れ度は高くなく、先輩や同じくらいの職級の男性社員からのプレッシャーを受けることが想定されたからです。

そこからどのようにマインドを変えていったのですか?

マイナスのイメージばかりを抱いていても始まらないので、まずは、様々な男性の営業所長に管理職のやりがいについてヒアリングをしてみました。でもやっぱりピンと来なくて悶々としていたのですが、そんな時に、4名のチームリーダーとして後輩に営業活動をアドバイスしたり、スキルを教える経験をしました。私の指導によって後輩ができなかったことができるようになり、それをとってもうれしく感じました。「あ、営業所長のやりがいってこういうことか!これなら私にもできそう!」と自分でピープルマネジメントのやりがいを見いだせたことがマインドチェンジにつながりました。
仕事と家庭の両立については、夫や社外の女性の先輩に相談をしました。夫とは、お互いの仕事をお互いに支え合おうという共通の価値観があって、私のキャリアの一番厳しい上司は夫なんじゃないかなっていうぐらいの関係なんです(笑)。そんな夫から背中を押されたことも管理職を目指すきっかけになりました。
当時の私は、管理職になることより子どもを持つことを優先したかったのが本音でしたが、夫からは、「あなたのすぐ後輩女性で営業所長になれそうな人はいるの?他に候補が多くないなら、まずは子供より管理職を目指した方がいいんじゃない?子供は管理職になってからでも遅くないと思うよ。」と言われました。
以前に別の方からも、結婚と昇格のタイミングが重なって悩んだ時に「先にご縁があったほうを受け取りなさい」とアドバイスをいただいたこともあって。目の前に来たものを、丁寧にやっていく、一生懸命やっていくという考え方だと思うのですが、そういった形で子供よりも管理職になることが、会社のためにとっても、自分のキャリアにとっても今は重要なんだろうなというところに納得ができました。

最後に覚悟を決めるきっかけとなったのは、男性の後輩MRからの「〆木さんに所長になってほしい」という言葉です。できない理由や周囲からのプレッシャーなどに目が向きがちでしたが、そう言ってくれる後輩の期待に応えたい、と強く思い管理職となる決心をしました。

管理職となったときの周囲から見た〆木さんの印象はどのようなものだったと感じましたか?

想像の域を超えないので合っているかは分からないですが、男性先輩や職級の近い男性社員からは、また女性だからと出しゃばってきた、と思われていたと思います。人によっては協力的でないコミュニケーションをされることもありました。
一方で後輩の女性MRからは、「〆木さん大変そう…私はそんな風にはなりたくないな。」と思われているだろうな…という人もいる一方、キャリアアスピレーションの高い女性MRからは「仕事を教えてください」という感じで主体的に声をかけてきてくれました。私が管理職になったことで彼女たちの前向きな行動に繋がったと思うと、私が管理職になったことは意義があったのだなと感じました。

管理職になったからこそ感じられた仕事のやりがいはありますか?また仕事への向き合い方に変化はありましたか?

責任範囲が広がったことで、県の半分などMRの頃と比べると広範囲で数字を上げられるようになったのが楽しかったです。責任地区のあちらこちらで実績が上がり、部下MRと喜びを分かち合えたことに大変やりがいを感じました。
部下MRができなかったことを私の指導でできるようになった時にもやりがいを感じますね。このやりがいを感じたことは管理職になるきっかけにもなりましたが、実際に管理職として仕事を続けていても、メンバーが増える中でより感じることのできる仕事の醍醐味だと感じます。
チームとしての仕事への取組み方、成果の出し方も大きく変わったと思います。私がメンバーの立場だった頃も、よいチームワークが発揮される中その一員としてやりがいを感じることはありましたが、管理職になってみると、自分が中心となってチーム全体に影響を与えている感覚があるのが大きく異なる点だと思います。私の関わり方次第で、メンバーのやる気やマインドがこんなにも大きく変わるんだって。メンバーには役割や期待を明確に伝えることで、彼らも一生懸命やってくれるようになり、彼らの努力をしっかり見て具体的に褒めたり、彼らの意見を尊重しながらアドバイスをすることで成果としてリターンが何倍にもなってくるんですよね。そうやってコミュニケーションが活性化しチームの一体感をつくっていくことで、目標に向けて協力をしながら取り組むことができて、自然と成果もついてくる、そんな仕事ができると大きなやりがいに繋がっていきました。

女性MRのキャリア構築がまだ一般的ではなかった状況の中で、仕事と家庭の両立について葛藤をしながらも、自分を慕ってくれる後輩のため、後進の女性の道をつくるため管理職へとステップアップを決意し、新たな仕事のやりがいとも出会った〆木さん。彼女のような存在があったからこそ、現在の女性MRが活躍する土台がつくられてきたといっても過言ではないでしょう。
次回Part2では、管理職となってから迎えたライフイベントや、後進の女性MRへの想いについてお話をうかがいます。


 

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