- 飯嶋:そうだったんですか!?
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- 菊池:はい(笑)2年間という期限付きで。まずはとりあえずそこから働いてみよう、という気持ちでした。
その後2年の契約期間を終え、「英語の勉強でもしてみようかな」と思い立ち、アメリカ留学を検討し始めました。……実際のところ、当時はクラシック・バレエにも凝っていたので、バレエ・レッスンをアメリカで受けてみたいなという気持ちもありましたね。語学兼ダンス留学という形で、アメリカへ発ちました。途中帰国も幾度か挟みながら、合計2年ほどアメリカに滞在し、帰国してからは地元の札幌で語学教師をしていました。 -
飯嶋:その後製薬会社と出会うきっかけは、どういったところにあったのでしょうか。
菊池:やはり薬剤師免許を持っていたことが大きかったですね。せっかく免許を持っているのだから、使わない手はないだろうと思って。運よくマリオン・メレル・ダウ社の札幌支店での求人を見つけたので、そこで学術兼管理薬剤師として勤め始めました。ただ、当時の仕事として主だったものは電話番やお茶くみ、掃除などでしたね。
飯嶋:菊池さんほどの方でさえ、そんな時代があったんですね。その頃は自分が将来社長になるなんて、考えたことはありましたか?
菊池:もう全然!当時は「仕事でこうなりたい」「キャリアを通してこんな自分になりたい」というイメージを持つこともできませんでした。最初のアチーブメントがコーヒーメーカーの購入をしたことだったぐらいですし、自分が仕事を通じて何かを成し遂げるとは考えることもなかったです。その頃すでに30歳近くになっていました。ただ、目の前の課題には、真剣に取り組んでいましたね。あとから考えてみれば、派手さのない小さなインパクトにしかみえなくとも、着実にこなしてきたのかもしれないな、と思うこともあります。
飯嶋:そこから現在に至るまでの転機は、何があったのでしょう?
菊池:マリオン・メレル・ダウ本社で、各支店の管理薬剤師を集めての会議があったんです。参加者のほとんどが女性でした。この会議を開催したのが新しくコマーシャルヘッドに就任された本国の方で、彼が私たちに「あなたたちはみんな薬剤師免許を持っているよね。なにか会社に意見はないか?」というようなことを尋ねられました。私はアメリカ留学の経験もあって英語が他人より話せたので、自然とその場にいる全員を代表して「私たちは確かに全員免許を持っています。だから、もっと会社も私たちを重用してもよいのではないでしょうか。」と意見を述べたのです。
飯嶋:当時、「英語ができる薬剤師」というのはかなり珍しかったんじゃないですか?
菊池:恐らくそのような本社会議で、英語で意見を述べる女性というのはかなり目立っていたでしょうね。そしたら、コマーシャルヘッドの方が「じゃあ、もっと仕事してみる?」とおっしゃって。それで本社のある大阪に呼ばれてしまったんです。
飯嶋:大抜擢じゃないですか!
菊池:そのコマーシャルヘッドの方が日本に来られるにあたって、課題としていたことの一つに「日本の女性活躍問題」があったようでした。日本では女性人財の登用がうまくいっておらず、それをどうにかしたい。だから、営業マネージャーとマーケティングマネージャーに女性を登用したかったのだと、後から知りました。彼がいなければ、今の私はなかったと言っても過言ではありません。
飯嶋:まさしくシンデレラストーリーですね!
菊池:私にはマーケティングの経験なんてなかったのですが、本社ではプロダクトマネージャーを務めることになりました。
ただ驚くべきことに、なんと翌年に新製品上市(開発した薬剤が新薬として承認され、市場に出ること)を控えるタイミングだったんです。
飯嶋:いきなりですか!?
菊池:はい(笑)今思うと「どうして断らなかったのだろう?」とも思いますが、これが私にとって大きなチャンスとなりました。
マーケティングがまったくわからない私に、コマーシャルヘッドの方は一からマーケティングについてご教示くださいました。当時はマーケティングという概念さえまだ日本では新しく珍しいもので、これを外国の方から感覚的に学べたことはとても貴重な経験でしたね。
飯嶋:まさしくご自身の行動と実力で、チャンスを掴み取ったのですね。当時周りの方はどんな反応をされていたのかも気になります。私は女性活躍推進の講演をする機会も多いのですが、大変失礼ながら障壁が男性という声も聞くことがあります。「女性だから、かえって簡単に出世できるんだ」なんて言ってくる方はいらっしゃいませんでしたか?
菊池:残念ながら思ってはいたのではないかと思います。ただ、そういった意見をコマーシャルヘッドの方は断固として許しませんでした。毅然とした態度で「そういった意見はよくない」と示してくださっていたので、とても安心して仕事をすることができました。とても嬉しかったですし、仕事を頑張ろうとしている女性には、自分を理解してくれる人が必要な時代でしたから。当時は女性も男性と同じように活躍していこう、という機運が高まりつつある時期でした。
飯嶋:それは大体いつ頃の時代のお話でしょうか?
菊池:ちょうど雇用機会均等法が施行された直後くらいの頃でしたでしょうか。
飯嶋:そこから要職に就かれるまでは、ずっとマーケティング部門にいらっしゃったのですか?
菊池:そうですね。マーケティング、新製品上市など……。あと、アメリカにいた頃は戦略…コーポレートストラテジーという部門で仕事をしていました。