乳がん患者さんの乳房再建に使われるブレスト・インプラント。
日本にこの選択肢を最初に導入した企業で、仁平さんは10年にわたってこの領域と向き合ってきました。
制度変更や市場環境の変化、コロナ禍──決して平坦ではなかった10年の中で、営業一筋だった一人のMRは、いつしか事業を預かる立場になっていました。「管理職になりたいと思ったことは一度もなかった」と語る彼女が、なぜここまで来られたのか。
フラームジャパン代表・飯嶋が、その軌跡を伺いました。
仁平:今年でちょうど10年になります。
保険適用になって広がっていったこともありますし、途中で様々な事業上の課題も経験しました。
コロナの期間は緊急性がそれほど高くない手術ということで、オペが少なくなってしまう時期も経験しましたので、非常に濃い10年間だったなと思います。
飯嶋:ここに至るまでのキャリアも、ぜひご紹介いただけますか。
仁平:2009年に新卒で、内資系の製薬会社である大塚製薬にMR職で入社しまして、6年間、岐阜で営業をしておりました。
その後アラガン・ジャパンという会社を知って、2016年1月に転職をしました。最初は医療機器の営業担当であるセールスレップとして3年間活動し、その後営業マネージャー、営業部長を経て、現職の事業部長になりました。
飯嶋:キャリアの積み重ねは、ほとんどブレスト領域一筋でいらっしゃいますよね。
そこまでこの領域を突き詰めようと思われたのは、何か理由があったのでしょうか?
仁平:実は転職した時は、ブレスト担当ではなくてボトックス等を扱う美容医療の方を受けていたんです。ブレスト・インプラント事業にはまったく携わるつもりはなかったんですけれども、面接の最後に採用担当の方から「君はブレストの方が向いてそうだね」と言われて。まったく意図しないところでブレスト担当になった、というのが出会いでした。
でも働いてみたら、アラガンは乳房再建を日本で広げるリーディングカンパニーですので、非常に面白さがありましたし、関わっている先生方が本当に熱心で、良い領域だなと思って働いていました。
仁平:いろんな人に「よく辞めなかったね」と言われます。
当時も「そこにいたって苦労するだけだから、うちに来なよ」と言ってくださった他社の方もいました。
辞めなかった理由は、とにかく目の前の業務が忙しくて考える時間もなかったというのが正直なところです。ただ少し落ち着いて考えた時に、まだここでやるべき事があると明確に思いました。1つは、この領域の過去の歴史を知っていたからです。
これまでブレスト・インプラントにはアラガンを含めて複数のメーカーがありましたが、2つのメーカーが市場から撤退しています。患者さんにとって大切な選択肢を守り続けるためにも、関係者の皆さまからの信頼に応えていかなければならないと感じました。
当時の私はまだ経験も十分ではありませんでしたが、自分にできる形で少しでも貢献したいという思いで取り組んでいました。
将来的に、関係者の皆さまから「あの時しっかり向き合っていた」と評価いただけるような仕事がしたいと思っていました。
飯嶋:なるほど。人がキャリアを築いていくのには色々な理由があると思いますが、就業環境としては、当時は良い方向だけに行っていたわけではないと思われます。でもきっと、とてもブレスト領域への想いや、会社への愛情が強かったんですね。でも、どうしてそれだけの覚悟が持てたんですか?
仁平:日本にブレスト・インプラントを導入したいと、学会の先生方や患者さんの団体が長い間考えていた中で、手を挙げるメーカーが全然いないところにアラガンが手を挙げた、という話を聞きました。私は会社のこの選択を本当に誇りに思っていますし、その歴史を自分達の代で潰してはいけないという思いがありました。
あとは本当に、やらなければ、と奮い立たせてくれる状況が揃っていました。
回収は先生方にも患者さんにもご心配をおかけすることでしたが、対応する中でお会いした医療関係者の方々は「一緒に乗り越えましょう」という励ましや、「大変だね」「体調大丈夫?」と、そういうことばかりを言ってくださって。
支えていただいた人たちの期待に応えたい、と思いました。
その時のチームメンバーもほとんど今も残っています。
この領域を良くしたいと思う人がいるということは、「自分がラストマンとして頑張ろう」と思うのに十分な条件でした。
仁平:「対等ではないかもしれないけれど、こちらもプロフェッショナルとしてお付き合いしたい」と考えた時に、製薬企業の中で持っている知識だけでは全然足りなくて。それを取り巻く医療の問題や国の方針まで理解をして、やっとプロフェッショナルとして医療に向き合えるのかなという思いがありました。
MBAでも医療系の授業が多くあり、表面的な事象だけでは無く深く知る重要さを学びました。
例えば、日本人女性は乳がん検診を受ける人が他の先進国に比べて少ないと言われていますが、医療の先進国である日本で「なぜだろう」という疑問があったので、そのことを研究して論文を書きました。そこから、乳房再建だけではなく、それを取り巻く大きな医療の流れや医療政策を深く学んだ上で医療に向き合いたいと思い、今は大学でフェローという形で研究を続けています。
仁平:「対等」とはなかなか偉そうで言えませんが、先生方が色々なことを相談してくださるようになりました。医療機関や医療従事者にも限界がある、この領域を良くしようという時に企業の力も必要だ、あなたの力が必要です──そう言っていただけるようになったのは、本当にこの2年ぐらいです。
飯嶋:ブレスト領域にて製薬エリアのプロだと認識されるようになったということですよね。そして、同時に、仁平さんは、自分の中の違和感も、その努力でクリアしてきたということは、本当に素晴らしいですね。今のご自分を、10年前に想像できていましたか?
仁平:まったく思い描いていなかった10年ですね。最近知った言葉ですが、「計画的偶発性理論」という考え方がありますよね。キャリアは、偶然の積み重ねによって形づくられ、振り返ったときに初めて一つの道として見えてくるものだといいます。私自身のキャリアは、まさにその典型だと思っています。
マネージャーをやってみない?と声が掛からなかったら、たぶん自らマネージャーになることもなかったと思いますし、責任者の立場で自主回収を経験したから、学ぼうという思いにもつながった。
ただその理論では、偶然を受け身で待っていてキャリアが作れるかというと、そうではないとも言われています。ちゃんと積み重ねられる人の特性として、好奇心や行動力が挙げられている。そういう人が、たまたま舞い込んできた偶然をチャンスに変えていくんだ、と。
実は営業部長になって1年も経たない時に事業部長への変更を言われたので、どう考えても経験が足りない。「なぜ私にその機会を?」と上司に聞いたら、「好奇心があって、わからないことは自分で調べて何とかするから、任せたら何とかすると自信を持って考えられた」と言っていただけて。「今すぐには期待される役割はできないです、でも努力をする自信はある」──そういうところはあったかなと思います。
飯嶋:1日1冊ですか。すごいペースですね。
特に影響を受けた本はありますか?
仁平:日立製作所の元社長・川村隆さんが書かれた『ザ・ラストマン』という本です。「自分がラストマンだと思って、すべての責任を自分で負う、最終決定者は自分なんだ」という決意がラストマンの意味合いなんですけれども、新任マネージャーの時に猛烈にかっこいいなと、私もこんな人になりたいと思いました。
いわゆるロールモデルになる方は周りにいなかったですけれども、そんなに欲しいとも実は思わなかった。それよりも心の在り方の指針が見つかったことが、すごく大きかったかなと思います。大事な判断をしなければいけない時に、今でも『ザ・ラストマン』は何回も読み返しています。
飯嶋:女性エグゼクティブの方々は、皆さん「ロールモデルは特にほしいと思わなかった」ということをおっしゃいます。確かに、いまだに女性の管理職のロールモデルは数少ないのが現実です。でも、自分の中に自分の軸を築いてきたからこそ、ロールモデルが欲しいとは思わなかった、という側面もあるのだと思うのです。まぎれもない、確固たるロールモデルが、自分自身の中にあるから。
ただ、とはいっても。そういう女性が少ない環境の中で、さらに、ご自身が年少者だったことも多かったのではないかと思いますが、チームマネジメントで、苦労されたことはありますか?
仁平:若くしてマネージャーになって、チームメンバーのほとんどが年上の方でした。社会人としては大先輩の方の上司にいきなりなってしまったので、自信もなかったですし、周囲の期待に応えられるか不安はありました。
うまくいかなかったなと思うのは、自分がしっかりしなきゃと思いすぎたことです。マネージャーである自分が知識も一番なければいけない、何を聞かれてもすぐ答えたい、マネージャー=高い能力と思われたいと最初はすごく思っていました。そこまで気負いすぎると、少し遠く感じてしまう。少し前まで同僚だったのに、距離を作ってしまったのかなと思います。
今は、チームで役割分担をして、任せることを大切にしています。
私の役割は事業を正しい方向に導くことであって、顧客の対応や製品の知識は他のメンバーの方が上で当然だったりする。変に全部自分が、とは思わなくなりました。この方がうまくいくと思います。
飯嶋:そうなんですね。それは大きな信頼関係が基盤にないとできないことですし、大きな転換ですね。
ご自身の変化として、他に感じられることはありますか?
仁平:リーダーとして致命的なんですけれども、昔から人前で話すことがすごく苦手でした。話す事自体が苦手、伝えるべき事をうまくまとめることも苦手でした。ほとんど人に言っていないんですけれども、ずっとトレーニングを受けて何とかやり過ごしてきました。でも今は、もう自分らしく喋ればいいかなとやっと思えるようになって。変にうまく喋ろう、かっこいい言葉を使おうとは思わなくなったので、今は割と自然体でリーダー業をしています。その方がチームの雰囲気は柔らかくなったと思いますし、そう言ってくれるメンバーもいます。
飯嶋:そうなんですね。そういう自然体になれたと感じられたのは、いつ頃からですか。
仁平:この2年ぐらいでしょうか。事業部長として4年ほど経ちましたが、最初はあれもこれもやらなきゃ、といっぱいいっぱいでした。この2年はフェローにもなって、「この乳房再建という領域の中での自分の存在価値はこういうところかな」というイメージが湧くようになって。それ以外は削ぎ落として、何もかもフルスペックじゃなくていいかなと思えてきて。リーダーシップの在り方も、少しずつ削ぎ落としてきたような気がします。
飯嶋:乳房再建という領域を、今どう捉えていらっしゃいますか。
仁平:乳房再建だけを見ると、日常生活で話題に出ることもほとんどないものだと思いますし、ニッチな話に聞こえると思うんです。
でも、そこから見える課題は、選択肢が知られていないとか、知っていても遠慮して選べない人がいるとか。周囲に気を使い、お金も時間もかかるので再建を受けない方は今もいますし、ご家族や職場の方に誤解があって「そんなことしなくたって、命が助かったらいいんじゃない」と言われてしまうこともある。
それは乳房再建に限らず、医療に限らず、他のいろんな選択肢でも同じだと思います。私がこの領域に思い入れがある理由の一つは、これが日本の課題の縮図に見えるからなんです。
選択肢があるのに選びにくいこと、人と違ったことをすることのためらい、周りの目を気にしてしまうこと。そこを解決することが、その先にある生きやすさや、より良い社会につながるという思いがあるので、社会課題として見ています。
飯嶋:仁平さんのお話を伺っていると、乳房再建という一つの領域から、選択肢の伝え方や女性のキャリア観、生き方そのものにまで視野が広がっていることを強く感じます。
仁平:フラームジャパンも女性のMRの方がたくさんいらっしゃいますよね。女性が働き続けるためには、体やライフステージの変化もあります。
その中で心身ともに健やかに生きることがあった上での仕事があると思いますので、女性の健康やメンタルヘルスのケアも非常に重要だと思っています。
日本は、自分の健康問題、特に女性特有の問題を言いにくい現状があると思います。更年期も乳がんも、何かしらの体の変化を経験すると思うので、その中でどうやってより良く生きるかを、もっとオープンに話せるようになってほしいなと。
飯嶋:本当にそうですよね。人知れずつらい思いをしている人がいるかもしれないし、何も言わずに働くことをやめてしまうという選択肢を取る人もいると思います。まずは「知ってもらうこと」こそ、第一歩ですね。私も仁平さんのそのお話をもっと聞きたいです。
仁平:乳がんは9人に1人がかかると言われていますが、早く見つけられれば予後は非常に良く、治療も進歩しています。子宮頸がんなど女性特有の疾患を早い時期から知っておくことで、選択肢が増えると思います。
飯嶋:本日はお話を伺って、ポジションが上がるごとに本当のご自身を取り戻すような作業をされてきたんだな、と感じました。
仁平:まさに、今の自分は、「一番自分らしい状態でいられる」という状態かもしれないです。MRだった時も、アラガンで営業をしていた時も、どのお仕事も本当に楽しかったんですけれども、今の役割は、今までの業務を通じて培った経験や知識を全て生かせる仕事だと感じます。自分が正しいと感じる事を実行するために責任をとる、判断力を磨くために学び続ける。
キャリアの出発地点では、管理職に興味すらなかったですが、今の役割は「この面白さややりがいを知っていたら最初から選んだだろうな」と思うぐらい、本当に楽しんでやっています。
飯嶋:仁平さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。ヘルスケア×女性キャリアという点からもこれからも協業していきたいです。そして、このような事業部長がいらっしゃるアッヴィ社の今後の展開がますます楽しみです。